TIA、軽症脳卒中は、様々な職種の医療者がfirst touchする可能性があり、特に発症後48時間以内に本格的な脳梗塞に移行しうることから、初療医から専門医まで、地域の医療機関の適切な連携体制の構築が必要となります。海外からも様々なアイデアが報告されていますが、医療提供体制の異なる国のシステムをそのまま導入することは適切ではなく、日本の医療体制に応じた連携医療を模索することが重要です。
フリーアクセスかつ世界一の画像診断大国
人口100万人当たりの日本のCT、MRI台数はそれぞれ112.3台と55.2台で世界一です。ちなみにCTは英国の12倍、フランスの6.4倍、MRIは英国の7.7倍、フランスの3.9倍に当たります。フリーアクセス、国民皆保険の我が国では、頭をどこかでコツンとぶつけても、すぐに専門医のもとでCTやMRIを撮ってもらえる環境にありますが、世界の医療は全く異なります。
英国の連携医療の変遷
英国はわが国と同様に国民皆保険制度下にありますが、日本のようなフリーアクセスではなく、まず自らが登録している地域の総合医(general practitioner, GP)の診察を受け、紹介状をもらって初めてCTやMRI等高度の検査医療を受けることができる社会です(GP以外の医師の診療を受けると全額自己負担)。このため日本では考えられませんが、神経障害の一過性のエピソードを呈した「前触れ発作」疑いの患者が専門医の診療を受けるまでになんと12日(IQR 7-17)もかかっていました(The National Sentinel Audit in 2006)。このため2012年のNICEガイドラインで、ABCD2スコアを用いた患者層別化が取り入れられました。
ABCD2スコアによるトリアージ、英国2012年ガイドライン
医療の門番(ゲートキーパー)である総合医(GP)がTIA疑い患者を専門医療機関に送るときのお約束として作られたのがABCD2スコアであり、TIAクリニックでした。
日本で「クリニック」というと街中で見かける開業医さんを思い浮かべますが、英国やフランスから発信されている「TIAクリニック」は大病院の専門外来を意味し、TIAは大病院への入院ではなく外来で診療を完結させようという仕組みです。
ABCD2スコアとは、年齢(A)、血圧(B)、臨床症状(C)、持続時間(D)、糖尿病の有無(D)を点数化し、最高7点となるTIA患者の脳梗塞発症リスクを層別化するスコアで、
A (age、年齢) | 60歳以上 | 1 point |
B (blood pressure、血圧) | SBP>140 and/or DBP>90mmHg | 1 point |
C (clinical features、臨床症状) | 片側脱力 脱力を伴わない発語障害 その他 | 2 point 1 point 0 point |
D (duration、持続時間) | 60分以上 10〜59分 10分未満 | 2 point 1 point 0 point |
D (diabetes、糖尿病) | 糖尿病 | 1 point |
スコア別の脳梗塞移行リスクは以下の通りです。
スコア得点 | TIA後2日以内 | TIA後7日以内 | TIA後90日以内 |
0 ~ 3 point | 1% | 1.2% | 3.1% |
4 ~ 5 point | 4.1% | 5.9% | 9.8% |
6 ~ 7 point | 8.1% | 11.7% | 17.8% |
ご覧の通り ABCD2スコア3点以下の場合、48時間以内の脳梗塞発症リスクは1%で、4点以上は4.1%以上と高くなることから、英国では、TIA、軽症脳卒中疑い例を診療した総合医(GP)はABCD2スコアを評価し、ABCD2スコアが4点以上なら24時間以内に、3点以下なら7日以内にCTやMRIを持つ高度医療センターの受診を設定する体制が作られました(注:2019年のガイドライン改定で廃止されています)。
フリーアクセス画像診断大国の日本から見た英国医療の違和感
ABCD2スコアによるリスク層別化とTIAクリニックの設置は、人口100万人当たりのCT台数が日本の12分の1、MRI台数が8分の1しかなく、GPをゲートキーパーとして高度医療を提供する英国の医療体制を背景としたもので、日本の医療体制から見ると大きな違和感があります。
違和感1:リスクがあってもすぐに診てもらえない体制
ABCD2スコアとTIAクリニックの新設により、それまでTIAは軽症と認識されて何週間も専門医の診療を受けられなかった英国の医療事情は改善されました。しかしそれでもなおABCD2スコア3点以下の患者は、GPから(画像診断なしで)アスピリン300mgの投与を受け、設定された受診日を待たねばなりませんでした。このガイドラインが作成されたとき、英国のガイドライン作成委員会と患者団体との協議の経過が記録として残されています。
ガイドライン委員会と患者団体代表との協議:「どんなに小さなリスクでもそれがあるのなら、患者にとっては重大なことだ」とする患者代表のご意見をガイドライン作成委員会は理解します。患者にリスクがあることを伝えながら、専門医へのアクセスを待たせることは、耐えがたい葛藤を与えることになると思われ、すべての患者が適切な検査治療を遅滞なく行ってもらいたいと思うのが当然でしょう。しかし、ガイドライン委員会 は、片頭痛やめまいなどそのほとんどがnon-vascular event で占められるTIA疑い患者群を専門医が緊急評価することは実際的ではなく、むしろ医療サービスの低下を招くと考えてこの方法を定めました。 |
違和感2:CT等画像診断を待つことなく直ちにアスピリン投与
もう一つの違和感は、日本と異なりCTやMRIに容易にアクセスできない事情から、画像診断結果を待たずにアスピリン300mgを投与して専門医受診日まで待てとされる点です。
その理由として、脳出血はTIAの稀な原因でしかないこと、TIA後の脳卒中の99%は脳出血ではなく脳梗塞であり脳出血ではないこと、TIA発症数時間以内に脳梗塞の危険性があること、脳出血患者に画像診断前にアスピリンを投与したからと言ってそれが有害であるという明確な証拠がないこと(IST,CASTという2つの無作為化試験において671例の脳出血患者が不注意にも組み込まれていたが、この内アスピリン群に割り当てられた患者が不良な転帰をとったオッズ比は低かった)という点が挙げられています。
TIAと臨床診断された症例が脳出血であった例は経験されることであり、頭部CTが胸部X線並みに容易に施行できる日本では画像診断なしに抗血栓療法を開始する人はまずいません。「脳出血に誤って抗血栓薬(アスピリン)を投与しても、有害であるとの明確な証拠はない」とは、CT等画像診断を容易に行うことのできない、フリーアクセスではない英国らしい理由です。初療医が画像診断なしに抗血栓薬を投与して専門医に送り、その患者が万一脳出血であった場合、日本では決して許されないでしょう。
英国では今日(2019年版)でも、”Do not offer CT brain scanning to people with a suspected TIA unless there is clinical suspicion of an alternative diagnosis that CT could detect.”と、TIAを疑ったからと言って、CTで検出可能性のある他の診断を疑う場合以外CTを依頼すべきではない(不要)とガイドラインに記載されています。
諸外国ではABCD2スコアの使用を廃止した
ABCD2スコアに基づく医療連携を推進してきた英国は、2019年にガイドラインを書き換え、ABCD2スコアに基づくGPのトリアージを中止することとしました。
なぜ英国ガイドライン委員会はABCD2スコアの使用をやめたか
2019年の英国ガイドラインの記載によれば、「ABCD2及びABCD3の単独使用によるTIAの低リスクと高リスクの判別能が低いことが明らかとなった。 ABCD2‑I や ABCD3‑I の様に、これらのスコアに脳と頸動脈イメージのデータを追加したとしてもわずかに判別能が上がるのみである。また日常診療あるいは救急隊レベルで適切な画像診断の情報を得ることは困難である。TIA後の脳梗塞のリスク判別能の低いツールの結果をもとに患者を専門医に送ることを遅らせることは有害である。したがってガイドライン委員会はこれらのリスクスコアを用いるべきではないとの合意に達した。リスクスコアの予測能が限定的であることに鑑み、すべてのTIA疑い例は脳卒中リスクを有すると考えるべきである。」との記載が、詳細なエビデンス評価とともに記載されています。
日本でもこれまで前触れ発作(TIAあるいは軽症脳梗塞)疑い例に遭遇した医療者に、ABCD2スコア評価を推奨してきましたが、この行動は「スコアによって一部の患者の評価を遅らせること」を意味しますので、ABCD2スコア単独使用の弊害については、日本においても心すべきことと思われます。
米国、カナダでもABCD2スコアは使用しない方針
米国では2009年のScientific statementで、TIA疑い例の入院の適応の決定は、ABCD2スコアに応じて以下の様にすべきと記載されていました。
It is reasonable to hospitalize patients with TIA if they present within 72 hours of the event and any of the following criteria are present: a. ABCD2 score of ≥3 (Class IIa, Level of Evidence C). b. ABCD2 score of 0 to 2 and uncertainty that diagnostic workup can be completed within 2 days as an outpatient (Class IIa, Level of Evidence C). c. ABCD2 score of 0 to 2 and other evidence that indicates the patient’s event was caused by focal ischemia (Class IIa, Level of Evidence C) |
しかし、この方法で救急病棟に入院させた患者を、ABCD2スコアが低いという理由で早期退院させたところ、脳梗塞に移行する例が経験され問題となると、2016年米国の救急医学会から以下の様にABCD2スコア低値を根拠に救急病棟から安全に退院できると判断すべきでないとのClinical Policyが示されました。
”In adult patients with suspected TIA, do not rely on current existing risk stratification instruments (eg, age, blood pressure, clinical features, duration of TIA and presence of diabetes [ABCD2] score) to identify TIA patients who can be safely discharged from the ED.” |
その後米国脳卒中協会(AHA)の最近のガイドラインでも、ABCD2スコアによるトリアージは記載されなくなり、2018年に改定されたカナダの脳卒中ガイドラインでも、TIAを疑う症状と発症からの時間のみでトリアージしABCD2スコア等を用いないガイドラインとしています。
これとは対照的に、日本のガイドライン2021では「TIA後の脳梗塞発症の危険度予測と治療方針の決定には、ABCD2スコアをはじめとした予測スコアの使用が妥当である(推奨度B、エビデンスレベル中)」と書かれており、世界の流れとは異なります。
判別力の低いスコアで「この患者は安全である」として検索を遅らせることには危険性はあってもメリットはなく、今後臨床研究などを除き使用すべきではないと考えられます。またABCD2スコアはTIAの診断スコアではないことにも注意が必要です。